“住みたい街ランキング“で常連の三軒茶屋
SNSでは「渋谷に飽きた大人の隠れ家」や「通な大人が通う街」といった、どこかミステリアスで魅力的な言葉をよく見かけます。
渋谷へのアクセスの良さはもちろん、最新スポットと昭和レトロな商店街が共存する絶妙なバランス。
そんな三軒茶屋を調べてみると、普段何気なく呼んでいる「地名」の中に、意外な歴史と物語が隠されていることが分かりました。
今回は、三軒茶屋駅の北側に広がる人気エリア『太子堂(たいしどう)』の名前のルーツについて深堀りしていきます!
利便性と静けさのバランスが良い街『太子堂』


まずは太子堂という場所について少しご紹介。
世田谷区太子堂は、1丁目から5丁目までで構成される広い地域です。
太子堂の中心部を走る茶沢通りは三軒茶屋と下北沢を結ぶ道路で、茶沢通り沿いには多くのお店が立ち並び活気に満ちています。
しかし、茶沢通りを一歩脇道に入ると、驚くほど静かで落ち着いた住宅地が広がっています。
このギャップが、利便性と豊かな住環境を兼ね備えた街『太子堂』の大きな魅力。
では、この街になぜ「太子(たいし)」という高貴な名がついたのでしょうか? その答えは、茶沢通りから少し住宅街に入ったところにあるお寺にありました。
夢のお告げから始まった? 地名の由来となった『聖徳太子像』


太子堂の地名のルーツは、今から400年以上前、安土桃山時代の末期の時代まで遡ります。
太子堂3丁目に、『円泉寺』正式名称を『聖王山法明院 圓泉寺(せいおうざん ほうみょういん えんせんじ)』という由緒あるお寺があります。
このお寺こそが、地名の誕生に深く関わっています。
文禄4年(1595年)、真言宗の僧侶であった賢恵和尚という人物が、ある尊い像を背負って大和にある久米寺という場所から関東へと旅をしていました。
和尚さんが旅をしながら背負っていたその像こそが、日本の歴史に名を残す『聖徳太子』の像だったのです。


旅の途中、和尚は村(現在の太子堂周辺)の民家に一泊しました。するとその夜、和尚の夢の中に聖徳太子が現れ、こう告げたといわれています。
「この地に霊地あり、円泉ヶ丘という。恒に霊泉湧き出ず。永くこれに安住せん。汝もともにとどまるべし」
訳:この地に、円泉ヶ丘という霊地がある。そこには常に清らかな水が湧き出ている。私は永くこの地に安住したいと思っている。お前もここにとどまるが良い。
これにより、和尚はお告げの通りに本堂、聖徳太子を祀るための『太子堂』、そして住職の住まいを完成させ、手厚く祀ったのです。
その後、この地は太子堂の御利益もあってか大いに栄え、『太子堂村』と呼ばれるようになりました。これが、今に続く地名の始まりです。


地名の由来を調べると、いつもの景色が違って見える!
今回は『太子堂』の由来を詳しく調べてみました!
ただの地名だと思っていた「太子堂」が、実は400年前の「夢のお告げ」や「聖徳太子への信仰」から生まれたものだと知ると、茶沢通りを歩く足取りも少し変わってくる気がしませんか?
ほかにも日本の地名は、その土地の地形や特産物、生息する動植物、幕府や藩の行政機関、神社や城といった建物、住んでいた人々の職業身分および出来事など、いろいろなことに由来しているんだそう。
もし、街の名前に興味を持ったら、ぜひ一度その由来を調べてみてください。
自分の住んでいる地域にこれまで以上に愛着が持てたり、意外な一面を知れるかもしれません。